Vol.9 クレーム ド カシス ド ディジョン
レリティエ・グヨ社(フランス)
楽しむためのお酒ではなく錬金術師が作る秘法の医薬品
7月、フランスのブルゴーニュ地方ディジョンでは、つややかに黒く熟したカシスの実が収穫の時を迎えます。英語ではブラックカラント。カシスは、酸味と甘味を特徴とするベリーの女王です。
古くからカシスのリキュールは作られていたのですが、中世の時代には食卓を彩る楽しみのお酒ではなく、医薬品でした。毒蛇やサソリ、狂犬などに噛まれたとき、人々は治療薬としてカシスのリキュールを口にしていました。 当時の人々のカシスに対する信頼は絶大でした。ルイ14世時代の末期には、ソルボンヌ大学の博士が『カシスに秘められた驚異の力』という本を出版し、ベストセラーになったという記録も残されています。
この当時、カシスのリキュールを作っていたのは、錬金術師たちでした。製造法は、いかにも中世らしく秘密のベールに包まれていましたので、今では知るよしもありませんが、おそらくカシス、水、砂糖、アルコール、そしてときには各種のスパイスをそれぞれ独自の秘術で配合していたようです。
医薬品としてのカシスのリキュールは、18世紀に入ると人気にかげりが見えてきますが、19世紀半ばに復活を遂げます。これによって、ようやく美味しい飲みものとしての地位がカシスに与えられたのです。
ノワール・ド・ブルゴーニュのみを用いて丁寧に製造
レリティエ・グヨ社は、フランスのリキュールメーカーのナンバー1ブランドとして知られています。なかでもクレーム・ド・カシス・ド・ディジョンはフランス市場で最も人気の高いリキュールで、そのシェアはナンバー2ブランドの3倍。もちろん、輸出量もフランス1です。
このレリティエ・グヨ社の社名の由来となっているのが、創業者である夫妻の名前です。ジャン・バプティスト・ルイ・レリティエとクローディーヌ・グヨ。この2人の名を合わせて、レリティエ・グヨ。そして、2人の愛の結晶ともいえるのが、クレーム・ド・カシス・ド・ディジョンです。
使用するカシスは、最高品質のノワール・ド・ブルゴーニュのみ。収穫されたカシスの実を圧搾して得たフレッシュな果汁に酒精を配して寝かせるのですが、その期間は優に6週間にも達します。ゆっくりと熟成していく過程で、カシス独特の色彩、芳香、風味が誕生するのです。このとき、夫妻が編み出した特別な製法が、加熱をせずに砂糖を溶かす方法でした。これをカシス果汁にブレンドすることにより、フレッシュなカシスの果実の風味がさらに生きることになったのです。
夫妻は、2本の製品につき約200グラムものカシスを贅沢に使い、人工香料や濃縮エキス、着色料、エッセンスなどをいっさい使用しないことを誇りにしていました。そして、この誇りは1845年の創業当時から現在に至るまで受け継がれ、信頼の裏付けとなっています。
レリティエ・グヨ社のクレーム・ド・カシス・ド・ディジョンには、カシスの実に豊富に含まれるビタミンCが、1年以上たっても破壊されずに残っているのです。
キールやキール・ロワイヤル…カクテルやデザートに大活躍
白ワインにカシスを加えた飲みものは、昔からフランス人の間で愛飲されていました。この飲みものを一躍世界に広めたのは、第二次世界大戦のレジスタンスの英雄であり、後にディジョン市長を長く勤めたキャノン・フェリックス・キールでした。
彼の名前を聞いて思い出すカクテルがあると思います。そう、クレーム・ド・カシス・ド・ディジョンを1、辛口の白ワインを3の割合で合わせたキールです。当時ディジョン市の公式行事、レセプション等では必ず食前酒(アペリティフ)としてキールが飲まれました。キール市長は90歳を過ぎて亡くなりましたが、ディジョン市民は「彼の長寿はカシスの薬効のおかげ」と讃えたものでした。
すっかりポピュラーになったキールに加えて、クレーム・ド・カシス・ド・ディジョンが生み出した人気カクテルの一つがキール・ロワイヤル。これはクレーム・ド・カシス・ド・ディジョン1に対してシャンパンを6の割合で合わせたもの。また、クレーム・ド・カシス・ド・ディジョン1に対して少し冷やしたボジョレーを10の割合で合わせたル・カルディナルは、パリで大変に人気のある飲みものです。ドライ・ベルモット、ジン、ウォッカ、ホワイト・ラムなど、クレーム・ド・カシス・ド・ディジョンの魅力を引き出すお酒は数限りなくあります。
肉料理、鳥肉料理、サラダなどにもクレーム・ド・カシス・ド・ディジョンは欠かせませんが、ソルベやアイスクリーム、さまざまなデザートにも活用されており、ミロワール・ド・カシス、ババロワ・オー・カシス、クレーム・ブリュレ・ド・カシスなどの名品も生み出しています。
もはや単なるお酒ではなくフランスを代表する文化
レリティエ・グヨ社のシンボルマークとして世界中に知られているのが、アップルグリーン色をしたニコニコ顔のカエルのイラストです。このカエル誕生には、ユーモラスなエピソードがありました。
1950年頃、有名なミネラルウォーターのメーカーであるヴィッテル社は、パリの地下鉄で「ヴィッテル-カシスを飲もう」というキャンペーンを繰り広げました。水にカシスシロップを混ぜて飲もうという意味です。
これを見たレリティエ・グヨ社は、ウイットに富んだ作戦に出ました。「純粋な水はカエルのために残して…レリティエ・グヨ・カシスを飲もう」というポスターを地下鉄に掲示したのです。そのポスターには、数匹のカエルが飛び回る姿が描かれていました。こうした応酬に、パリっ子が大喝采したことはいうまでもありません。
この出来事以来、カエルのイラストはレリティエ・グヨ社の有名なシンボルマークとなって、世界中を飛び回ることになります。当時のポスターは文化遺産として認定され、カエルを描いた販促用の灰皿とともに博物館にも保存されています。また、かつての社屋が映画のロケーションに使用され、なかには有名なフランス・シネマ・クラシックも含まれています。
レリティエ・グヨ社とクレーム・ド・カシス・ド・ディジョンは、単なるお酒の域を超えて、いまやフランスを代表する文化ともなっているのです。