Vol.3 マンダリン ナポレオン

フルクロア社(ベルギー)



東洋のマンダリンとナポレオンとの運命的な出会い

マンダリンという名を聞いたとき、東洋を思い浮かべることは、ほとんど皆無でしょう。語学的な解釈からすれば、マンダリンはポルトガル語。しかし、その源流には中国大陸があり、さらにさかのぼるとヒマラヤの峻険な山々が浮かび上がってきます。
マンダリンを含めた柑橘類が産声を上げたのは、ヒマラヤ山麓。自然界の運び屋である風や水に乗り、しだいに近隣に広まっていくのですが、もっと遠い地方まで種を運んでくれたのが動物たちでした。やがてヒマラヤ越えをした柑橘類の種は中国に渡り、大陸に馥郁(ふくいく)たる香りを撒き散らすことになります。
マンダリンがヨーロッパに初めて登場したのは、1800年代の初めだとされています。ジューシーで香りのよい薬用フルーツとして人気を呼びますが、この高価な果実を購入できたのは一部のお金持ちに限られていました。
同じ頃、ヨーロッパの英雄として華々しく登場した人物が、ナポレオン・ボナパルトです。フランス革命の激動がほっと一息ついた時期に乗じたナポレオンは、またたく間にヨーロッパ全土を征服していくことになります。
このとき、マンダリンとナポレオンが、ある意味、運命的な出会いをすることになるのです。片や東洋から渡来した高価なフルーツ、片や飛ぶ鳥を落とす勢いのエンペラー。夜ごと繰り広げられる豪華なディナーの締めくくりとして、ナポレオンが愛飲したのが、マンダリンを浸したコニャックでした。この香りのよい食後のリキュールは、消化をよくする効果があると信じられていました。
ナポレオンがセントヘレナ島で波乱に富んだ一生を終えてまもなく、この食後のリキュールは、誰からともなく”マンダリン・ナポレオン“と呼ばれるようになりました。

フルクロア伯爵の日記に記されていた秘伝のレシピ

ここで、マンダリン・ナポレオンに関係の深いもう一人の人物を登場させましょう。アントワーヌ・フランソワ・デ・フルクロア伯爵がその人。マンダリン・ナポレオンを世界に送り出しているベルギーのフルクロア社の、遠い先祖に当たる人物です。
アントワーヌ・フランソワはオルレアンの公爵薬剤師の息子に生まれ、化学者として高い業績を残し、フランス革命のときにはジャコバン党の党首として大活躍しました。その後、ナポレオンの最高行政裁判所の一員に選任され、伯爵の爵位をはじめ、レジョンドヌール勲位の司令官の階級を授けられるなど、ナポレオンの信任を一身に集めます。ナポレオンの催す晩餐会にたびたび同席したことはいうまでもありません。
文筆の才にも恵まれていたアントワーヌ・フランソワは、自然科学史や化学に関する数々の著作を残していますが、ナポレオンとの数限りない会見の様子についても、個人の日記に克明に記していました。
19世紀後半になり、この日記は、彼の業績に興味を抱いたベルギーの化学者の目に触れ、新たな展開を見せることになります。ナポレオンが愛飲したマンダリン・ナポレオンのレシピが詳しく記されていたからです。この化学者の名は、ルイ・シュミット。ブリュッセルに小さな蒸留所を所有していた彼は、レシピに従ってマンダリン・ナポレオンを造り、1892年に販売を開始することになります。
彼の子孫は第二次世界大戦後まで製造販売を続けていましたが、やがてフランスの製造会社に権利が映り、さらにその権利はフルクロア社へと移っていくことになります。日記の主であるアントワーヌ・フランソワ・デ・フルクロア伯爵の子孫の手に、150年の時を経て、ようやくマンダリン・ナポレオンが戻ってきたのです。

ナポレオンの時代から変わらぬ伝統の味わい

マンダリン・ナポレオンの製造は、スペイン産の新鮮なマンダリン果皮を厳選されたスピリッツに数週間浸すことから始まります。マンダリンの香りを十分に浸出させた原液は、秘伝のレシピにより、緑茶、クローバー、コリアンダー、クミンなど21種類のハーブやスパイスを加えられ、3回の蒸留を経て高品質で重厚なコンセントレートになります。この蒸留酒は最低でも3年は熟成させ、まろやかでコクのあるハーモニーが生み出されます。
そして、ようやく最終段階。蒸留酒の最終ブレンドを行うのは、フルクロア社が誇るマスター・ブレンダーです。熟成させたコニャックにオリジナルレシピ通りにブレンドされることで、マンダリン・ナポレオンは完成することになるのです。
フルクロア社がマンダリン・ナポレオンの製造を引き継いだ当初、原料となるマンダリン不足という大問題に何度も直面した苦い経験が、フルクロア社のベルギー移転につながりました。ディープフリーズ冷凍機への設備投資により年間を通じて原料を在庫するめどが立ち、このことが現在の華々しい発展へと導く大きなカギとなりました。
現当主は5代目のジョージー・フルクロア。世界150ケ国への輸出という国際市場の飛躍的な伸びは、彼の業績です。また、ナポレオン帝国博物館や見学蒸留所の建設にも熱意を注ぎ、今ではマンダリン・ナポレオンの製造過程が見学できるようになっています。
フルクロア社が主催する「グランプリ・インターナショナル・ド・マンダリン・ナポレオン」も、今年で28回目。(2000年10月時点。現在、大会は休止しています)世界各国から選ばれた10数人のシェフがベルギーのブリュッセルに集い、高い技術を競い合います。ヨーロッパを代表するこの製菓コンテストから、今年もマンダリン・ナポレオンの馥郁たる香りを生かした銘菓が誕生するはずです。

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