Vol.15 マディラワイン
H.M.ボルジェス社(ポルトガル)
古くからワインの産地として知られていたマディラ島
かの文豪シェークスピアをして、「命と引き換えにしてもいい」といわしめたマディラワイン。スモーキーな香り、ほのかなキャラメル味、デリケートな甘味と酸味…その独特な風味はワインの中でも群を抜く個性派です。この個性的なワインの誕生には、偶然と幸運に満ちた奇跡のような出来事が介在していました。
それでは、時間を巻き戻して、奇跡の現場に立ってみることにしましょう。時は17~18世紀、モロッコ沖に浮かぶ現ポルトガル領マディラ島が舞台です。
この島は15世紀の頃からぶどう栽培が盛んに行われていました。高低差のある火山島という地形が、高品質のぶどう栽培に欠かせない十分な湿度と温暖な気候を兼ね備えていたからです。すでに16世紀には、マディラ産のワインは島の外貨をもたらす重要な産業となっていました。とはいえ、この時期のマディラワインは、まだごく普通のワインに過ぎませんでした。
17~18世紀の一時期、マディラ島はイギリス領となっていたことがありました。マディラワインの誕生は、この時期のイギリス商人の存在なしには語れません。イギリス商人は、インド航路の寄港地として必ずマディラ島に立ち寄り、マディラワインを重要な輸出品として世界中のイギリス領に運んでいたのです。その輸出先の一つに、当時はイギリス領であったアメリカがありました。
アメリカの独立戦争がなければ誕生しなかったマディラワイン
船に積み込まれたワインは、大西洋の赤道を越える長い長い航海を経てアメリカに到着するのですが、この灼熱の航海の間に太陽にじりじりと照らされ、ワインはしだいに変化してしまいます。これは、ワインにとって大敵である酸化でした。
本来なら、酸化したワインは味が劣化して、売り物にならないはずです。ところが、偶然にも、酸化によって後のマディラワインの特長ともなる独特の風味がプラスさせていたのです。しかし、この段階では、独特の風味を持つとはいえ、まだ単なるスティルワインに過ぎません。本格的なマディラワインの誕生までには、歴史の大波に翻弄されるという運命が必要でした。
その歴史の大波というのが、アメリカの独立戦争です。戦いが始まると、それまで上得意であったイギリス商人は、マディラ島にまったく立ち寄らなくなってしまいます。島の最大の輸出商品であるワインは行き場を失ったのです。
マディラ島は、大量のワイン在庫を抱えて困惑してしまいます。「イギリスの航路が回復するまでの間、大量のワインをどのように貯蔵しておくか?そして品質を落さないようにするために、いかなる手法で保存性を高めるか…?」貯蔵効率と保存性という2つの難問に、直面したのです。
そのときに考え出されたの苦肉の策が、ワインの一部を蒸留して残りのワインに加えるという手法でした。このワインを後になって試しに飲んでみると、それまでに味わったことがない芳醇な味と香りに満ちていました。禍転じて福となす。マディラワインの誕生です。
熱い樽、熱い倉庫の中で独特の芳香が際立つ
1877年に創立されたH.M.ボルジェス社は、創業当初より世界中にマディラワインを送り続けている伝統企業です。偶然と幸運から誕生したマディラワインですが、現在では高品質のぶどうだけを厳選し、伝統的かつユニークな方法で製造が行われています。
通常、ぶどうは8月末から9月にかけて収穫されます。海まで続く山の斜面に点在する畑で収穫されたぶどうは、プレスした後に発酵樽に移され、厳格な温度管理のもとに発酵させます。ここまではふつうのワインと同様なのですが、発酵の途中でぶどうから作った酒精を添加するのがマディラワインの特長。酒精強化のことを、フォーティファイと言います。
甘口タイプは、まだ甘みの残る発酵の初期段階でフォーティファイして発酵を止め、辛口タイプは糖分のほとんどがアルコールに変わった終了段階でフォーティファイを行います。
フォーティファイされた新酒はアルコール度数を17度に調整され、エストゥファジェンと呼ばれる伝統的手法にかけられます。新酒をエストゥファ(湯が循環する過熱容器)に移し、45~50度を保ちながら最低3ヶ月加熱するのです。微妙な味わいが要求される高級品は、湯を通した管を張り巡らせて倉庫全体を温め、熱の当たりを柔らかくするという手法がとられます。
こういった手法により、かつての灼熱の赤道直下の航海と同じような循環にワインを置くことになるのです。ゆっくりと流れる時間の中で、マディラワイン独特の芳香が生まれてきます。
加熱が終了すると3~4週間かけてゆっくりと元の温度に戻され、フランス産のオーク樽で長い熟成に入ります。
使用されるぶどうの品種により彩り豊かな風味が生まれる
マディラワインにはさまざまな品種のぶどうが用いられていますが、もっとも多く栽培されている品種はネグラモーレです。市場に多く出回るのは異なるぶどうから作られたワインをブレンドした熟成3年ものでヴィーニョ・ダ・マディラと記されます。日本に輸入しているボルジェス社のマディラワインも、もっともポピュラーなこのタイプをセミスイートに仕上げたものです。 また、ヴィーニョ・ダ・マディラを5年熟成させたものはレゼルヴァと記されます。
これに対して、厳選された同一品種のみをブレンドしたのが10年、15年もので、ボトルには使用したぶどうの品種が記されています。品種ごとの味わいの特長は次の通りです。
【セルシアル】ドライ
淡く、ドライでナッティー。熟成するにつれて、特長的なナッティー風味が増します。
【ヴェルデーリョ】セミドライ
芳香に富む黄金色のミディアムワイン。食前、食後に向く万能酒です。
【ブアル】セミスイート
フルボディーでリッチなワイン。食後酒向きのバランスのとれたワインです。
【マルムジー】スイート
暗褐色でもっとも強い甘口。濃厚な味わいとブーケの香りが特長です。
芳醇かつ個性的な風味を持つH.M.ボルジェス社のマディラワインは、食前・食後酒として世界の人々を魅了するだけでなく、料理やデザート作りにも欠かせません。とくにフルーツとの相性がすばらしく、伝統菓子はもちろんのこと、さまざまな創作菓子の引き立て役として、世界中のシェフやパティシエにも愛されています。